☞ 2011/06/07
大連から北京までの
鈍行列車内エピソード

中国で銃を見た事3度(0211/02/12)にも書いた22、23年前のことです。
往路は北京-丹東間を飛行機で移動する為北京空港へ、この便は週に2便しか飛んでおらず、しかも機材は30人ほどしか乗れない小型プロペラ機でした。
どこのメーカーの機材かも分からず、お尻の部分から乗り込むタイプでした。
通路を挟んで両脇に1席ずつしか無く、乗客が機内に乗り込んでも、一向に飛ぶ気配がありませんでした。 そうして待つ事1時間位した時にお尻の入り口タラップから鼻歌を歌いながら、鼻の頭とほっぺを真っ赤にして航空会社の制服のボタンを上から三つほどだらしなく外したご機嫌な”おっさん”が左右を見回しながらやって来ました。 まさかと思いながら見ていると、やっぱり一番前へ行き、操縦席の扉を開け、乗り込んでゆくのです。 ドアを開けた時に見えたのですが、小さな飛行機なので副操縦士の席は無く、なんと”おっさん”だけの席が、いかにも飛行機が遅れたから酒を飲んでいたのか、酒を飲んでいたから飛行機が遅れたのかは分かりませんがこれから約2時間、”酔っ払いのようなおっさん”に命を預け、ひやひやしながら乗っておりました。 その時の離陸はとても乱暴で戦闘機のスクランブルのような離陸でした。 中国のパイロットは空軍上がりが多いので腕は確かだと聞いた事があることだけを信じてドキドキしておりました。
プロペラ機なのでジェットだと70分くらいの距離を2時間掛けて丹東に到着し、それから車(タクシー)に乗り換えました。
(それからの話は「中国で銃を見た事3度」(0211/02/12)に書いてあります)
田舎の工場を回り仕事が終わって、大連から北京に今度は大き目の飛行機で帰ろうと大連空港へ向かいました。 そしたら空港へ行くほど霧が出てきて濃くなり空港に着いたら”本日欠航”の張り紙が、濃霧の為北京から飛行機が飛んできていないとのことでした。 翌々日には日本から北京に客がやって来るのでどうしても帰らなければならない為(翌日も天候しだいで飛ぶかどうか分からない)同行していた3人と相談し、大連駅まで行きとにかく北京行きの列車に乗ろうということになりました。 

☞ 2010/09/08
中国自動車運転免許(1)

台紙
長城タイトル風景

☞ 2010/09/10
中国自動車運転免許(3)

☞ 2010/09/11
中国自動車交通事情(1)

☞ 2011/01/07
悪魔の高速道路(1)

☞ 2011/02/12
中国で銃を見た事3度、
北朝鮮で1度

☞ 2011/03/29
悪魔の高速道路(2)

18時間くらい経って(すでに2時間くらい遅れています。)天津を過ぎ、もう通常だと1時間もあれば北京に到着するはずだという所まで来ました。 ただ気になるのは先ほどからずっと徐行したり、停止したりしているのは何の原因だろうと他の乗客も口に出して気にはしておりました。  すると暫くして”ガツン”と列車が停まり完全に動かなくなりました。 そのまま一時間以上経ってもその場からピタリとも動かない為にだんだん乗客が騒ぎ出し、最前部へ何人かが事情を聞きに行きました。 30分くらいして彼らが戻ってきて言う事には「一人のおばちゃんが乗務員のサービスの悪い態度に切れて列車を降りてしまい、列車の進行方向の線路に横たわって講義しているとのこと。 え、やめてくれよな”おばちゃん”気持ちは分かるがもう少しで北京に到着するのでそしたら北京駅で駅長を殴るなり、車掌に焼き入れるなりして、ここは北京に到着させてくれよ。 じゃないと私のお尻が爆発してしまう。 実はもう何時間もトイレ(大きい方)に行きたくて我慢している。 でも何度か車両のトイレ行ったけれど便器の中に山が出来ており、とてもする気になれない。 多分水も出なくなったのだろう。 もうすぐ限界が近づいてくる。 ベルトを緩めて楽な姿勢にして、やることは全部やってみた。 本当に”くそったれ”おばちゃん、やめてくれと祈っておりました。  その祈りは30分後にやっと紙に通じ(おっと神でした)列車が動いてくれました。 おばちゃんを轢いて通ったのか、おばちゃんが静まったのかは知りませんが、それから20分も経たずして北京駅に到着しました。 結局列車は予定よりも4時間遅れの21時間で大連から北京に到着した事になります。 おばちゃんは2時間は列車を停めていました。
その時に二度と中国で鈍行の列車に乗らないと心に誓いました。
もちろん私のお尻は北京駅のトイレで爆発しました。(九死に一生を得た気分でした。)  結果的には翌日の客の出迎えも問題なく行え、事なきを得ました。 

4. 大連-北京行き列車内の話(あと少しで北京なのに)

3. 大連-北京行き列車内の話(世紀の夫婦喧嘩)

列車が発車したのが夜の8時くらいで、しばらくすると混んだ通路を弁当売りが声を張り上げて通過して行きました、「25元だよ美味しいよ、買った、買った」と呼び込みながら通過して行くときに弁当を見たら、ごはんに簡単なおかずをぶっ掛けただけ、これは大変高いなと思って見てたら、他の中国人も高いと感じたのかあまり手を出していない。 本当は私も腹を空かしていたので迷ったのだけれど。考えているうちに行ってしまった。 そうしたら10分程したらその売り子が戻ってきて「はい、美味しい弁当が20元だよ」と言いながら反対の方へ戻っていった。え、20元! 向こうへ売りに行ったが売れなかったので値下げをしたんだと考えているうちに又、タイミングを逃し通り過ぎていった。 そうすると5分も経たずに又戻ってきて「はい、美味しい弁当が15元だよ」と、何じゃ、また5元下がっている。 これだったら又戻ってきたら10元になっているから、その時に買うかと見送った。 人間の心理としてその時は下がる事が分かっているので手を出しにくい。早く戻ってこないかなぁと売り子が消えて行った通路の方を見ていると、空になった箱を抱えて売り子が戻ってきた。  しまった、受持ちの端まで行った売り子は多分10元に値下げただろうが、直ぐそばの他の乗客に買われてしまったのだろう。 そうか10元なら私の所へ辿り着くまでに買われてしまうのに、何でこんな簡単な事に機がつかなかったのだろう。 私がバカでした。 
でも、何か商魂たくましい売り子の売り方が面白くて笑っていたら、他の中国人の乗客にもその売り方が結構受けていた。

3. 大連-北京行き列車内の話(車内駅弁売り)

私たちは弁当を食べ損なったのもあり、又良い考えが浮かんだ事も有り、食堂車へと向かいました。 そうです食堂車で料理を頼みゆっくり食べれば、我々全員が2~3時間くらい席に座れると考えたのです。 食堂車に辿り着くと後ろから鉄道公安局の制服を着た人たちが少数民族の新彊人と思しき女と男、それと人民解放軍の若い兵士を連行してきた。 女性は取り乱し、喚きちらし、泣き叫んでおり、連行されながら我々のテーブルの横を通る時に、テーブルの上にある空の大皿を闇雲に掴み後ろから連行されてくる男に向かってフリスビーの如く皿を投げつけた。 それが男には当たらず周りの鉄道公安官に当たり、彼はあまりの痛さに顔を歪めていた。 食堂車の両端に男と女を座らせ鉄道公安員が事情聴取を始めました。 それを聞いていると事の始まりは、男と女は新彊人の夫婦で何処からか北京を経由して新彊の方に帰るところ、車内で夫婦喧嘩が始まった。
新彊の人間は血の気が多く夫婦喧嘩と言えども手抜きはしない、夫婦でボコボコ殴りあっていたところを近くに座っていた人民解放軍の若い兵士が見るに見かねて仲裁に入ったら、旦那の方に何発か殴られた。 しかし、兵士は手を出してはおらず、防戦一方だったとのこと。 兵士は直ぐに鉄道公安官に気の毒そうな顔をされ、男を訴えなければ帰っても良いと言われたので、殴られた顔を抑えながらそそくさと席に戻って行った。 女の興奮冷めやらぬ怒声が車両にこだまする中、事情聴取は続き、鉄道公安官が男に向かって今の中国の法律では例え夫婦でも相手を殴ってはいけないと、男を諭し、女性に謝ればこの場は許してやると説得しているのに、男は中国標準語を話せないから意味が分からないだとか、興奮してまだ自分の妻に罵声を浴びせたりしていた。 彼らは食堂車の前と後ろに分かれて座らせられており、我々はその中間で聞きながら食事をしていた。 なぜか他の客は誰もおらず、我々だけが彼らの中間で、何時皿や椅子が飛んでくるかと冷や冷やしながら食べていたので、今では何を食べたか全然覚えていない。男の聞き分けが悪く、妻に謝りもしない為、業を煮やした鉄道公安官が「だったら50元の罰金を取る」と男に伝えた途端、男は綺麗な標準語を話し始め、「罰金は勘弁してくれ、金が無いと」 え、最初から”とぼけて”いやがってこの新彊タヌキと思って公安官の方を見たら、彼は最初からお見通しの様でした。 現在は新彊人でも若い人間は学校で標準語の勉強をしているから百戦錬磨の公安官は見破っていたのでしょう。 でも罰金を告げられるとすぐに態度を変えるところなんぞはこれが本当の”現金な奴”。 その男曰く、新彊では一度結婚して自分の妻となったら煮ても殺しても自由だと言い張る。(多分妻もタダでは殺されそうにないが。)「だったら罰金だ」で男は大人しくなる、のやり取りが暫く続き、最後は男が妻に謝って一件落着。 妻も罰金の話を聞いてからはヒートダウン。 帰りは結構仲良さそうに席に戻って行った。 私はその後も目が点状態が暫く続き、我に返ると食堂車は掃除をするという理由で、追い出されて仕方無しに車両連結部の隙間に体を入れてもたれていることにした。  ”新彊人恐るべし”の話。 

2. 大連-北京行き列車内の話(飛び乗り)

大連駅に到着し、次の北京行きを見たら後15分程で出発する。 急いでキップを会に行き手に入れたが、すでに満席で硬座(中国の列車には上席の軟座と普通席の硬座がある)の自由席しかキップが確保できませんでした。 急いで乗り込むと1席だけで最初は外人だということで他のメンバーが席に座らせてくれました。もちろん順番で席を譲るつもりで最初に私が腰掛けました。 すると乗務員がキップの改札に回ってきて私の顔を見ると直ぐ上の吊り棚のところに”先進文明代表”と書かれた札を付けてゆきました。 私は最初何の意味か分からなかったのですが聞いてみると、この車両で何か揉め事や争い事が発生した場合、私が中間に入って率先して処理をしなければならないらしい。 ちょっと待ったと思ったら
すでに遅し、乗務員はそのまま混んだ通路をとっくに先に行ってしまいました。
多分私が他の中国人より大人しく文句を言わないと思われたので付けられたものと思われます。 でも、その内容はただの乗務員のサービスを私に転嫁されただけじゃないかと思いつつも大人しく座っていました。(幸いその後もその車両では揉め事が起きませんでした。)  その飛び乗った列車は北京行きの普通で、17時間で北京に着きますが、後で調べたらもう一本後に快速があり、それだと8時間程で先に北京に着くことが分かりました。(後の祭りです)
中国で硬座に乗るのは初めてで最初は珍しいのでキョロキョロ辺りを見回しては暇を潰していましたが、それも直ぐに飽きてしまいました。  
になりました。 

1. まずは北京-丹東の飛行機内の話(往路)

2011/06/07大連から北京までの鈍行列車内エピソード

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☞ 2010/09/09
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