今から16、17年前になりますが、その当時はまだ中国語が話せなかったころの話です。 北京市の中心に近い通りを自分で運転して仕事の関係で取引き公司へ行く途中、角を曲がって新しい道に入ったところ非常に空いていてスムーズに走れる道に入りました。 暫くそのまま通行していると急に警察が出てきて、停車を求められ車を降りるように促されました。 その警察官にいろいろ喋り掛けられましたが、彼の言っている意味がさっぱり分からず。(その当時は簡単な中国語しか分かりませんでした。) 只、「ダンシンシエン」という言葉を何度も言われたことを覚えています。 ああ、きっとこの先注意して行きなさいと言ってくれているのだなあと思い、謝謝(シィエシィエ)と言って急いで車に乗りまた今の道を真っ直ぐに進みました。 さっきの警察官を見ると何かレシーバーで連絡をしていたので、きっと外人に注意したと報告しているのかなと思いました。 500mも走らないうちにまた若い警察官に停車を命じられ、車から降りるとその若い警察官は英語が少しでき、「ワンウェイ」と言われ初めて今走っている道は一方通行を逆走して来たと気がつきました。先ほど初めに捕まった警官はそれを私に教えようとし、そのまま違反キップを切らずに注意だけして許してくれたのです。 ただし私がそのまま更に逆走を続けたので、前に居る若い警官にレシーバーで捕まえるように連絡したと分かりました。 若い警官に許してもらおうと一生懸命謝りましたが、聞き入れてもらえず違反キップを切れれました。たしかその当時で60元(2700円ほど)だったと記憶しています。
後で調べて分かりましたが、最初の警官が言った「ダンシンシエン」と言うのは「単行線」と書きます。 漢字を書いてくれれば分かったのになぁと思った次第です。   
長城タイトル風景
ご存知の方は多いと思いますが以前の中国はどの都市も自動車のクラクションがすごくて、外を歩いていると、耳が痛くなるくらいうるさいものでした。 過ってこんな実話がありました。日中国交正常化がなされて間もなくのこと、大手の日本車メーカーが日本から自動車を中国に輸出しました。 しかし使用後3ヶ月も経たずに中国側からクレームが起こり殆どの車のクラクションが故障して使えなくなったとのこと、クレーム処理の部署が中国に飛んでいき調査したところ、日本の基準では10年くらい使用してもクラクションが故障することなどありませんが、日本でその車が一生分使用するクラクションの回数を中国ではわずか1~3ヶ月で使用する為に起こったクレームでした。 その時は全て交換する等でクレーム処理したそうですが、以前の中国人はそれほど多くクラックションを使用していました。 ところが3~4年前から大都市で以前よりクラクションの音が少なくなりました(それでも日本よりは遥かに多いですが) 3年前のある日北京市の繁華街で車を運転し、大きな交差点の赤信号で停止した時の事です。 目の前の左右の道路を車が青信号で通行していましたが、その内渋滞してきました。 そうすると前の車が交差点内で詰まり出しましたが後ろの車が前が渋滞で詰まっているにもかかわらず、交差点に突っ込んできました。 それでこちらがやっと青信号で直進しようとしても詰まった左右道路の車が邪魔になり動けません、それで頭にきた私は少し長めにクラクションを何度か前の車に浴びせましたが前で邪魔している車の中国人運転手は意にも介さず
すずしい顔で前を向いたまま、こちらを見ようともしません。
ますます頭にきた私は前にも増してクラクションを長めに鳴らしました。
すると何処からともなく交通警察官が近づいてきました。 私は「ああ、やっと警察が前の車に注意して交通整理をしてくれるのだな、渋滞で前が詰まっているのに無理に突っ込んできた前の車を違反キップでも切ってくれるのかなと期待して待っていました。
ところが私の車に向かって来て窓ガラスを叩いて開けろと指示します。
窓ガラスを開けると「お前は違反を犯していると、北京の条例で3回以上、3秒以上続けてクラクションを鳴らしてはいけない」と私が捕まってしまった。 前の車を指してあいつが悪いと言ってもぜんぜん聞き入れようとせず、私ばかり責められた。 ここで違反キップを切られてもバカらしいので、信号が変わると同時にそそくさと車を発進させその場を逃れたがどうも納得が行かない。 こんな風だから、毎日北京市内は渋滞するんだと中国人の運転マナーの悪さと、警察官の理不尽さを毒ついてもう忘れる事にした。 

14、15年前に北京から天津の田舎まで行った時のこと、その頃はまだ高速道路網が今のように無く、今だったら高速を使って片道1時間ちょっとで行けるところを片道2時間半くらい掛けて車で行きました。
仕事が夕方まで続き、暗くなってから戻ろうと街頭も何も無い田舎の細い道を北京方向に運転していたら、突然目の前の道路の真ん中に人間が横たわっていたのでびっくりして急ブレーキを踏みました。
なぜ、こんな所に人が倒れているのか、注意しなければ車で轢いてしまうのにと思いながら車を降りて人を確認しようとしたら、同乗の中国人スタッフが「降りるな」と私を止めた。 どうしてと聞くと、「おそらくあの人は生きていないだろう」とここで降りて確認しに行くと突然村人が現れ「お前が車でこの人を轢いたと言われ警察に引っ張っていかれると。
その人の家族が出てきてわぁわぁ泣き叫びながら私の所為にされて金を取られる。 家族は病気か何かで死んだ家人を道に横たわらせて車がぶつかればその車の運転手から金を取ろうと画策しているのだと。
なんと恐ろしい話をするので、私は直ぐに車をUターンさせて違う道から思いきり走り去りました。 くわばら、くわばら、何と恐ろしい事を考えるのだろうと思いましたが。 その通り掛った村は如何にも貧乏で他に産業も無い様なので、こんな事を考えるのだろうと思いますが。
このような話はあちこちで聞きます。 ある優しい大学生が道に倒れてるおじいさんを助け、病院に運んであげて手続きをしてあげたら、翌日公安が大学生の家を訪れ、逮捕されました。 なんとおじいさんがその大学生に突き飛ばされて倒れて怪我をしたのだと公安に訴え出たからです。 医療代+慰謝料を大学生から取ろうとしたようです。
「恩を仇で返す」を地で行くような話しですが、このような話が中国ではたくさんあります。 悲しい事ですが、皆さんも中国で優しさだけで人を助けることがあった場合は、少しだけ疑って、考えて下さい。

2.一方通行違反

これまでに何度か警察に交通違反で捕まったことがあります。
今までの実績で大体70%くらいはその場で見逃して貰っています。
その方法としては、中国語が分からない振りをする。/色々理由を付けて自分は正しいと言い張る。/ひたすら謝る。/タバコやその他の物をあげて媚びへつらう。等の中には姑息な方法も使い、何とか逃れています。 それでも2回ほど、罰金を支払っています。

1. 交通違反の逃れ方

4. げ、道に人が倒れている。(とても恐ろしい話です)

2010/09/11中国自動車交通事情(1)

中国で長年自動車を運転していて怖かった事や、面白かった事を書いて見ました。

中国で見聞きしたり、実際に体験した事をブログにしています。

台紙
もう16,17年くらい前のこと、その頃はまだ中国中に自家用車がそんなに走っておらず、その当時日本から輸出用のエスティマ(中国での名前はプレビア)を持ち込んで乗り回しておりました。 その当時としてはあまり中国にエスティマが輸入されておらず、何処へ行って駐車してもすぐに人が集まってきてジロジロと見られたものでした。 (もともと中国人の野次馬根性はすごくて何にでも直ぐに人が集ってきました。現在は中国人も昔のようにたくさん暇が有る訳ではないので小さな事では人が集まらなくなり、かなり改善されてきました)
ある日、北京から車で1時間くらいの縫製工場に行った時の事(今は高速道路を使えば30分も掛かりません)仕事が夜まで長引き、いざ帰ろうとした時に「一緒に食事をしよう」と工場の社長に誘われ(中国の場合はかならず食事時に食事に誘わない事は100%無い。又その場合強く断る事は失礼に当たる)、近くの田舎のレストラン(その頃の田舎は今の様に何処でもレストランがあるわけでは無い。)で食事をしました。
社長は個室を取ってくれて。我々だけで気軽に食事を取っていたところ、突然部屋のドアが乱暴に開けられ、明かに酔っ払ったおっちゃんが手に酒(白酒というアルコール度数60度の強い酒)を持って乱入してまいりました。 そして、工場の社長を見つけると握手をし、社長は私を「日本から来た日本人の旧友だと紹介しました。 すると待ってましたとばかり手の酒をコップに注ぎ「俺の酒を飲め」ときました。 私も社長も私が車で来ていて、これから北京に戻らなければならないからと丁重にお断りしました、しかし日本で言う「俺の酒が飲めないのか」が始まり、自分は外人と飲んだ事が無いので、どうしても飲めと。 この地域は私が全て公安関係を管理しているので大丈夫だ、何が有っても俺が処理してやるので飲めの一点張り。「でもここから北京に戻るにはこの地区を抜けてから北京市内の別の公安局管轄地を通らないと帰れないのに、北京市内の権限に田舎の公安局長の力が及ぶとは考えられないのになぁ」と思いましたが、(実際にその人は公安局の局長で別の部屋で宴会をしており、その頃の公務員も工場の経営者も全て共産党でつながっていたので飲み友達のようなものだった。)実は私もその工場の副社長の肩書きを持っておりましたので、土地の有力者に逆らう事もできずに杯を受けてしまいました。(もし逆らった場合は面子を潰したということで必ず後で報復の嫌がらせを受けます。) 私も未だ若く酒にも多少自信がある時でしたのでこのおやじに負けるかと頑張って杯を酌み交わすうちに気がつくと7~8杯飲んでしまいました。 それで相手はこの部屋に来るまでにかなり飲んでいたために自分が倒されると感じたのか一旦もとの宴会場に戻ると言い出したので、この機を逃してはならないと居なくなったその隙に社長を残して後を取り繕って貰うようにして、車に乗り込み逃げるようにレストランを出ました。 時間は夜9時を回っていたと思います。  その当時は夜遅い時間は車がほとんど走っておらず警察も見回りなどなく家に早く帰ってしまうので事故さえ起こさなければ大丈夫だと2~3Km進んでは休む(汚い話ですがドアを開けては吐いておりました) でも絶対に事故を起こしてはいけないと気が張っていたのか蛇行運転等はしませんでした。 やっとの思い出宿舎に帰ったのは夜中の12を過ぎておりました。 なんと通常の3倍、3時簡以上を掛けて帰ってきたのです。 あの時ははっきり断れなかった優柔不断な自分を呪い、公安局長が飲酒運転を勧めるとは何と怖い国だと思いました。 あれ以来、一切飲酒運転はいたしておりません。 (もっとも、最近は中国も飲酒運転に厳しくなり、かなりの厳しい罰則があります。)

6. 初めての飲酒運転(怖い思い出)

この話も15、16年前になりますが、昼間田舎の工場へ行き仕事が終わって夜(22時頃)に北京に戻ってきました。比較的に大きな交差点で前方の信号が赤に変わったので停止線の手前で停車しました。
もう遅い時間だったので、急いで帰りたかったのもあるのですが、両横の信号を見ていて青から黄色、赤に変わった瞬間、当然前の信号は青になると思い車をゆっくり進ませました。 しかし、前の信号は青にはならず、横の信号も赤(つまりは前後左右どこも赤信号が燈ったまま、歩行者用信号も赤のままで何者も通行できない状態が5分続きました。私はそれでも辛抱強く前の信号が青に変わるのを待ちました。しかしゆっくりではありますが停止線を3mほど越えてしまったところに停まっていました。 やっと前の信号が青に変わりきっと信号機の故障だったのだろうと思いながら急いで宿舎に帰り、その日は寝ました。
それから1ヶ月程してその日の事など忘れた頃に公安警察から連絡が入り私の乗っている車が交通違反を犯したので出頭するようにと言われました。 その当時の車両を面倒見てもらっていた中国人のスタッフに頼んで公安部に行ってきて貰うと私の運転していた車が信号無視をしてビデオに証拠が写っていると写真を渡され、罰金700元(32000円程)だと言われました。 写真を見ましたがちょうど停止線を越えて停まっている時で写真では走っているのか、停まっているのか判別はできません。 思わず「やられた」と思いました。 こんな囮捜査のようなことがあってよいものかと講義に行こうとしましたが、周りの人たちがどうせいっても聞き入れてくれないので止めた方が良いと諭されたので泣き寝入りすることになりました。
そういえば、一度田舎の山のほうへドライブに行ったときに山の木の上に警官が登り、木の上からハンディースピードガンを持って狙っているのを見たことがあります。 ここまでするか!という感じで見た経験もありあます。 そうです、中国では警察も何でもありなのです。

3. 信号無視違反

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中国見聞録(ブログ)

5. クラクション

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