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最新過去ログ

台紙
もうかれこれ30年近く前になると思います。 以前勤めていた会社に入社して間もなくの事、その頃お客さんだったスポーツ用品業界の20人くらいの若者を中国に研修旅行に連れてゆくことになり、私もあまり役にはたちませんでしたが同行させてもらえる事になりました。 その頃はまだ日本から中国への飛行機の直行便が就航しておらず、往復共、香港を経由して中国本土に入りました。 行きは香港から広東省広州市への便でした。 飛行機が広州市の白雲飛行場に降り立ちタラップを降りる時に(その頃の中国の飛行場には今のように飛行機が横付けされ直接ドアから空港内に入れるようなターミナル設備はどこにもありませんでした)タラップの下、左右に人民解放軍の兵士が自動小銃を肩に背負って立っていたのでびっくりしました。 生まれてこの方銃など見た事も無く、平和ボケした日本の小僧にはショックでした。  何よりもこの国では外人は銃を構えて管理されなければならない存在なのかとびっくりしました。その後何処の空港へ行っても、街中の重要な場所にも兵士がたくさん控えていて銃を構えていました。 だからその頃のイメージで中国=銃の管理国家だと考えていました。 
それが初めて中国に行って初めて銃を見た時の印象です。
長城タイトル風景
8,9年くらい前の話になります。 友人に誘われ大連を経由して、遼寧省の丹東の工場に行く事になり、北京から大連まで飛行機で40分、大連から丹東までは車で4時間掛けて行きました。  工場見学が終わり時間が有るので中国、北朝鮮との国境の河、鴨緑江に掛かる橋(鴨緑江瑞橋)とその河に浮かべたモーターボートで北朝鮮側の岸まで行けるミニツアーに行きました。 この橋は朝鮮戦争の時に中国側から義勇志願兵の100万人が物資と共に渡った橋です。 だから北朝鮮側半分が米軍の爆撃に因って破壊されています。 その橋を壊れていない半分まで行きましたが河の幅は広すぎるためそこから北朝鮮側が良く見えないため(半分でもまだ500Mある)モーターボートのツアーで北朝鮮側岸近くまで行く事にしました。モーターボートの中には中国人/西洋人合わせて20人くらい乗っていました。 岸近くまで行くと子供たちが釣りなどを楽しんでいましたが、その横で北朝鮮国境警備兵が銃を携帯し警備をしていました。 その内、中国人の観光客がカメラを向けるとなにやら朝鮮語で怒り出し、銃口を我々に向けて威嚇しました。 まあ中国人なので撃つ事はないでしょうが、全部で10分ばかりのツアーでした。
その翌日、友人がもっと面白い観光客がなかなか行けない場所に連れて行ってあげると言うので車でこの鴨緑江を北に車で2時間ほど遡って行きました。 途中川幅が狭く50Mくらいの所もありました。 多分こういう所を北朝鮮人民は渡って中国側にくるのかなと思いました。
丹東市から60Kmくらい走ったところに朝鮮郷というところがあり、そこの中国側と北朝鮮側に共同で作ったダムがあります。(長さ700Mくらいです)そのダムの上を車乗ってそのまま北朝鮮側まで行ける観光用道路があります。(といっても殆ど観光客はおらず、いても中国人観光客だけです、どうも外人は入る事自体禁止されているようです/今回は友人の中国側のコネクションを使って入れてもらいました。)河を渡ってさらに500Mほど行った所まで車で行くと展望台のようになっていて、そこから北朝鮮側を見渡せます。 その境にはフェンスで国境が作られています。 そこで車を降りて北朝鮮側を見ると同じとうもろこしを中国側と北朝鮮側で作っているのですが、明かに北朝鮮側の方が背が低くて貧弱なとうもろこしばかりです。 皆で「きっと北朝鮮側は肥料も使えないからだろう」などと話していると。 一人の汚い服を着た若者(男は背が低く、私には15,16歳くらいに見えました。)が北朝鮮側の丘から降りてきてフェンスの向こう側にやってきました。 日本語と朝鮮語の出来る通訳が同行してくれたので朝鮮語で呼びかけ「こちら側に来てと頼んだところすぐにフェンスを乗り越えてこちら側の目の前まで来てくれました。  近くで良く観察すると汚い服はなんと北朝鮮の軍服でした。 あちこ補修した痕があり、靴は布靴で小さな穴が開いていました。聞くと歳は18歳だという事ですが、たべもののせいなのかどう見ても子供サイズです。  そこで友人が持ってきたセブンスターを5、6個あげると、なんと腰に吊るしたホルスターから拳銃を抜いて手渡しで見せてくれました。 その拳銃も前回は何時撃ったのか分からないほど古そうな銃で整備もされていない実際撃てるのかどうかも分からない代物でした。 北朝鮮の金正日はこんな武器と装備で米軍と戦おうとしているのかとびっくりしました。 その若い兵士は結局セブンスターを1カートンねだり、持ち帰りました。 きっと上司に大半は獲られるのでしょう。 帰りざま、フェンスの向こう側から我々に向け、朝鮮語で「今度来る時にはウイスキーも持ってこい」とリクエストして丘を登り、とうもろこし畑の中に消えて行った。 

4. 北朝鮮で見た銃 (国境警備兵の銃)

12,13年ほど前のこと、北京で知り合いと一度実弾射撃場に行った事があります。  北京の北方、長城へ行く途中にある(或いはあった)射撃場です。 当時はいい加減な設備で正式なものなのかどうかも分かりませんでした。 まず、施設に入る時に簡単な登録(パスポートのコピーと車両ナンバーの記入、かばんを預ける等)で中に入ったらここがそう?と思うほどいい加減な設備(射撃位置はただレンガで周りを囲われているだけ、周りの壁も乗り越えれそうなレンガ壁。 そこで色々な銃を最初に見せられて選べと言われる。 (私は銃に詳しくないが、何かコピー製のような如何わしい代物が多かった。 トカレフもあったが中国製のものしか無い。 ロシア製のAK47や、なぜかM16やM4などが置いてあった。私はトカレフと名前は分からないがサブマシンガンを選んで安全監督説明員に使い方を教えてもらった。 トカレフは普通に撃てるが撃った時の反動がすごい。 多分5M先の物にも当てるのは難しそうだった。 サブマシンガンはオートと単発の切り替えレバーが付いておりオートで連射しようとしたら、この銃は今日は調子が悪いので連射モードで撃ってはならぬと。 ん、じゃマシンガンの意味ないじゃないか、さっきの説明で言わなかったじゃないかと文句を言ったら、一言「言い忘れた」でも本当は今日だけじゃなくずっと調子悪いのだろう、連射すると回転不良を起こし暴発するらしい。 危ないのでその銃は返品、結局トカレフを20発、AK47を10発、M16を20発、単発で撃った。
中国、ロシア、アメリカと三種類撃ったが、やはりアメリカ製のM16が一番撃ちやすかった。 料金は一発5元だったと覚えています。
他には料金しだいでロケットランチャー、RPG=一発150元、重機関銃=一発25元くらいだったと思います。 係りの男はしきりに重機関銃を勧めていたが、それは連射するとあっという間に100発くらいは出るので店が儲かるからという理由らしい。 とにかく危ない場所なので一回きりでそれからは行っていない。 暫く後でそこを通り掛った時に看板が消えていたのでもうやっていないと思います。

3. 射撃場

☞ 2011/01/07
悪魔の高速道路(1)

☞ 2011/02/12
中国で銃を見た事3度、
北朝鮮で1度

中国で銃を見た事3度、北朝鮮で1度
中国側からの見れる北朝鮮側風景です。 こちらから見えるところまでは立派なマンションや遊園地が造られていますが遊園地の観覧車はいつも動いてないらしい。

1. 一番最初に中国を訪れた時の話

今まで中国で銃を見た、実際に撃ってみた事を書きます。

中国で見聞きしたり、実際に体験した事をブログにしています。

過去ログ

鴨緑江瑞橋01
台紙

☞ 2010/09/08
中国自動車運転免許(1)

鴨緑江瑞橋02
ジャパンクリエイト㈱

中国見聞録(ブログ)

この話は22、23年前の事になりますが、出張で北京から丹東まで飛行機で移動し、午後の4時ごろ丹東に到着しました。車(ボロタクシー)に乗り換えてもっと田舎の工場へむけて走り、段々辺りが暗くなってゆき街灯も何も無いところで突然車がかなり大きな穴に落ちました。 日本なら信じられないでしょうが、道路工事の途中で暗くなったので掘った穴はそのままにして表示も何も無いまま工事者が引き上げてしまい、その穴に落ちたわけです。 かなりの衝撃と共に車のドライブシャフト関係が壊れました。
幸い我々乗員に怪我は有りませんでしたが、可愛そうにタクシーの運ちゃんは暗い中、車の下に潜り一生懸命、修理をしていました。
”泣きっ面に蜂”のことわざどうり土砂降りの雨まで降り出して、近くの修理工場から助っ人を呼んで、どうにか3~4時間ばかり掛かって修理を終え、ゆっくりとなら走るようになったので出発しました。 時間はすでに夜の10時を回り、ちょうどまだ降る土砂降りの中、峠の頂点付近にたどり着いた時に前方に8~10人にの人影が映り、全員が着ている黒いレインコートのような物から自動小銃を構えていました。 その瞬間、やられた、山賊だ。 殺されて金品を奪われると思いましたが、車の後席に座ったまま怖さに動けないでいました。 
(それまで、中国に行く度に怖い話を聞いていて、例えば東北の地方へ行くと昼間は農民の村人が夜にはその村全員が山賊になり夜通り掛った者の金品を奪うとか、 ある田舎では公安よりも力のあるその土地の有力者に気に食わないと殺される等いろいろな話を聞いていました。)
運転手だけが外に出され、後の人(四人)は車に座ったまま一人ひとり自動小銃を突きつけられながら懐中電灯で顔を照らされ人相を確認されました。 隣に座っている中国人が私に小さな声で「絶対に日本語を喋るな」と言うので、益々やっぱり山賊だと思ってしまいました。
確認が私の番に来たときにちょうど別の男がその男を呼んだために向こうへ行ってしまいました。
運転手が持ってこいと言われて差し出した車の車検証に問題があるようです。ん、山賊じゃないの?運転手曰く、公安武装警察の検問だと。
暗くて雨が降っているから、全員が黒っぽいレインコートを着ているために制服が見えず、ましてや重厚な自動小銃を持っていたからてっきり山賊だと。 でもこんな厳重な検問をしているのだから、何かあったに違いないがそれは当然公安から教えてもらえなかった。
それで一件落着かと思ったら、先ほど揉めていた運転手が戻り、必要な車検証を一枚搭載していなかったので罰金を100元取られたと、彼に取っては山賊も公安もあまり変わりが無かったというお話です。
(公安が罰金を取る時にはその場で現金などありえないので、運転手はいちゃもんを付けられ、彼らの酒代をむしり取られただけなのです。)
この経験が中国での一番怖い経験です。

2. 暗い山道で山賊に会った?

☞ 2010/09/11
中国自動車交通事情(1)

☞ 2010/09/10
中国自動車運転免許(3)

鴨緑江瑞橋03

この橋は昔の橋で朝鮮戦争の時に北朝鮮側半分が米軍に因って爆撃され、破壊されたままになっています。

鴨緑江瑞橋04

この川の中心線が中国と北朝鮮のボーダーライン(国境)になります。

ジャパンクリエイト株式会社HP付属ブログ

☞ 2010/09/09
中国自動車運転免許(2)

半分壊れたままの状態で残してある意味はアメリカの侵略を忘れるなという事らしいです。

遼寧省丹東市