(サムネイルをクリックすると大きな写真がご覧になれます。)

中国で見聞きしたり、実際に体験した事をブログにしています。

この長城は明代に建造された長城で、左の写真を良くご覧下さい。 山の稜線に沿った長城が途中で途切れているのがお分かりになりますか? これは当時の設計技師が長城を作っている時に方向を間違えて造ってしまったものです。 途中で間違えたと気付き強制終了させた珍しい長城です。
その当時の事ですから、設計技師は人生を全う出来たかどうかは定かではありません。
この場所の長城は東西南北に入り組んで走り、非常に複雑な線を描いており正確な地図やGPSが無かった当時には多少の間違えは仕方が無かったものと思います。  むしろ他の場所で正確に設計、建造されていった事が驚かされます。

北京から車で3時間近く掛かります。 北京から河北省承徳市に行く途中になります。
この日は仕事だった為に、公司の運転手が乗せていってくれましたので、長城が見えても登ることはできませんでした。
この地は過って大戦の時に旧日本軍に依って長城を満州国の国境と定め、海の端の山海関から独石口までの500Kmの長城南側幅4Kmを緩衝地帯として、無住禁作地帯とし、住民を迫害し、強制移住又は虐殺した悲しい歴史のある場所です。
(詳しくはネットで 「無人区政策 興隆県」 で検索をすれば情報が見れると思います)
二度とこのような悲劇が起きぬよう願っております。 この地を訪れる日本人は歴史を踏まえた上で発言等ご注意下さい。

中国見聞録(ブログ)

ジャパンクリエイト株式会社HP 付属ブログ